「信じられない」
私はそう、と背後にいるだろう声の持ち主にそれだけを返した。ステージクリアまであと少し。この集中を邪魔されたくはない。
鞄が床に落ちる音する。そうして床を踏むばたばたという乱暴な足音。
義姉は再び同じような声音で繰り返した。
「信じられない!あんたは脳天気すぎるよ!」
そういうと、彼女はパソコンにUSBケーブルで繋がっているコントローラーを引き抜いた。リサイクルショップで買ったものだ。2ポンドだった。
少し反応が悪いように思えるけれど、値段相応という言葉がある。
「ちょっと!」
「人が話しかけてるのにピコピコゲームしてるから!」
コントローラーが抜けてもゲームは進行する。制御されないキャラクターは瞬く間に敵に囲まれて、あえなく死んでしまった。何処か気の抜けたテーマソングが流れて、スタートメニューに戻りますか?と選択画面が表示される。
「義姉さん!いい加減にしてよ!」
ゲームに集中している時には、誰にも邪魔されたくない。そのことは、この義姉のほうがよく分かっているはずだ。苛立ちに一度机をたたいてから、振り返った。そうして、ため息が漏れる。どこで脱いできたのか、靴はなく足が泥だらけだ。
これが義姉でなかったら、その今にも泣きそうで、うなだれた首もとの疲れはてた様子と、泥だらけの素足から何かもめ事にでも巻き込まれたのかもしれないと心配はする。
けれど義姉の頭のネジは3本ほど抜けているのが通常だ。
うなだれた首もとにぐちゃぐちゃに絡むピンクに染めた髪の根本は本来の色である黒が目立ち始めていた。早く染め直したらいいのに。そして、アビーは美容師だから、友情割引を使ってくれる。
「・・・・・・また何かあったの?」
「サラが!」
「サラが?」
「手をつないでくれなかった!」
「ーーバカじゃないの?」
誰もが、もう仲のいい女の子同士が手を繋いで歩く年齢はとうの昔にすぎている。「仲のいい女の子」ではないのだから、サラが拒絶したのも当然だろう。
私はUSBポートにコントローラーを差し込み、もう一度プレイボタンを押した。
また再びあの長い長いステージを歩んでいかなければならない。そう思うとこの身勝手な義姉にふつふつと苛立ちがわいてくる。第一、部屋の中にその泥だらけの足で踏み込んでくること自体、彼女には我慢ならないことだった。
「義姉さん、私はそういう話聞きたくないから、ジェームズにでもいってきたら?」
「本当に情のない女!そんな女だからステフに離婚されるのよ。ああそういえば、今週もあえてないんだっけ?」
「あのねぇーー」
いくら頭のネジが抜けているのが通常だからといっても口にしてもいいこととよくないことがある。残念ながら、その義姉はその区別をつけるのが余り得意ではない。そういう性質なのだ。そしてそれを我慢するかしないかは、彼女の自由でもある。
部屋から叩き出してやろうと、振り返った彼女は、結局のところ口をとがらせることしかできなかった。そこまでしてしまったら本当に情のない女だ。日頃から優しい娘になりなさい、と娘に言い聞かせているのに、母親がこれではいけない。
「これで拭きなよ、外はジェームズに掃除させとけばいいけど、これ以上私の部屋を汚さないで」
「ねえ、」
「なあに」
「わたしと、つないで」
つないで、そう言った瞬間にもう彼女の手は捕まっていた。伸ばした爪がほんの少しだけ手のひらに食い込んだ。乾いた泥が床に落ちたことは、目を瞑ろう。
義姉は空いている片方の手で椅子をひきずり、パソコンの前に座った。そうして画面をのぞき込む。
「まだここで詰んでるの?」
そういって、先ほどまでの思い詰めたような悲壮な表情はどこへやら、けらけらと笑った。
彼女は繋いだ義姉の手をあやすようにゆらゆらと揺らす。
「簡単なのに」
ーーへぇ、あのゲームまだクリアできてないくせに。繋いだ手をゆらゆら揺らしたまま、義姉は乾き始めた足の泥床にをこそげ落としていく。ぱらぱらと床に散った乾いた泥をみないふりをした自分は思いの外馬鹿なのだろうと思った。